「未来の世界を想像し、表現する人」
新田慎二、1972年生、現在は東京三鷹に住んでいます。
生まれは大阪府枚方市。子供の頃から絵を描くことが好きで、マンガ家になるんだと当たり前のように思って過ごしてきました。高3のときに少年ジャンプの公募で特別賞をとって、もっと絵を学ぼうと思って東京の専門学校に通うために上京してきました。
そこで出会った友人の影響で、人類学や哲学を知りました。自分の世界観のフレームが外されて、新しいモノの見方をするような体験をして、世界は「どう認識するかによって変わっていく」ということを知り、マンガを描くことから遠ざかっていきました。
卒業後は親の支援を受けながらアルバイトをして過ごしつつ、94年の冬と2000年の冬に、1ヶ月以上の一人旅を2回、ヨーロッパを中心に旅をしたりしていました。
.
記憶に残っているものの一つに、ドイツのローカル線に乗って、ふと途中下車して目にした景色があります。春を迎える前の、まだ肌寒い季節、周りに人が誰もいなくて、少し目の前にあるのはドイツ特有の濃い緑色をした森へと通じる、整備されていない細い一本道。冬の曇り空の灰色の景色の中、そのひんやりとした空気感と静寂、孤独感を思い出します。
25,6才の頃、仕事をすることもなく、引きこもりのような一人暮らしをしていた時期があります。友人の影響から『肥田式強健術』という体術を独学でこなしながら、自らの認識力を高め、世界をどう認識するか、ということを考え続けようとしていました。
ガスの契約を止め、寒い冬の日も含めてずっと冷水を浴びて、たわしで身体を擦っていたり、玄米を食べ始めるようになりました。当時は吉祥寺の「スクラッチ」というジャズ喫茶に週に3,4日は通って、ニーチェや坂口安吾の本から文章を書き写して、そこから感じたことや疑問などをノートに書く、そんなことばかりしていました。この頃はドイツで見た景色さながら、冬の時代のようで、ひんやりと孤独に包まれながらも、どこか懐かしく思い起こされます。
.
その生活の終わりは、「絵を描くことができる」という自分を見出して、油絵を描くようになったことでした。そこから39才頃まで、コンテンポラリーアート/現代美術の世界で活躍することを目指して活動するようになりました。
スペインでのグループ展や、国内での個展、コレクターの方からのお誘いによる展示会への参加など積極的に活動をしていたのですが、3.11をきっかけに、アート活動の中心にあった自分の思いが「自分の中にある表現への追求」ようなものではなく、「自分には才能があって評価されるべき人間なんだ」という承認欲求で続けていたことに気づき、活動を中断しました。
.
45才の頃に、とある方から自らのインナーチャイルドを癒やすことを指摘され、そこから心理学を学び始めました。
「鏡の法則」の著者でもある心理カウンセラーの野口嘉則さんのもとで、心理カウンセラー養成講座に受講しました。同時に、僕自身もカウンセリングを受けることで、知識と体験の両方を通じて自分が変化していくことを経験しました。
その一つとして、アート活動は中断していたのですが、心理学とは別の講座で、参加者同士の楽しそうな会話の様子をスケッチして絵にして渡したら、みんなからとっても喜んでもらえた、ということがありました。この、絵を描くことが誰かの喜びになるんだ、という体験は、以前の、自分が評価されるために「描く」行為から、人とつながれる「描く」行為への大きな転換でした。その時の思いを土台として、相手の命の本質の光を見つめて絵を描く、スケッチダイバーという活動を開始しました。
また心理学を通じて、自分が冬の時代といえる20代では何に苦しんでいたのか、そしてアート活動をしていた時の辛さはなんだったのか、ということもだんだんと理解できるようになってきました。
.
そして2025年7月、「一人ひとりの天才性を発揮する」ことを目指したビジネスコミュニティ・天プロの合宿に参加したことをきっかけに、「未来の世界を想像し、表現する人」という自己定義を得ました。それは、2011年の東日本大震災以降、ずっと心のなかで熟成され続けていた自分の思考癖「気づいたら僕は未来の世界を想像している」ことを明確に、自分の存在意義と結びつけることができた契機になりました。
現在は「未来の世界を想像し、表現する人」として、一人ひとりが自分らしく発達し、心豊かに生きる大人たちが当たり前にいる未来社会の到来を作り出すためのカウンセラー活動を行っています。
